三國万里子「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」は小説のようなエッセイだった

編めば編むほどわたしはわたしになっていった
目次

本の紹介

書館で借りた本です。

タイトル:「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」 

著者:三國万里子(みくに まりこ) 

出版社:新潮社

出版年月:2022年9月発行 230ページ

予約日:記録に取るのを忘れました。たぶん2~3か月前

読んだ期間:2023年9月30日~10月10日

この本を読んだきっかけ

私は編み物が好きなので、三國万里子さんの編み物の本は、見たことがあるはずでした。

この本の著者名を見たときに、あ、編み物の人だ、と思ったからです。

人気のある編み物作家さんです。

編み物作家さんには憧れがあるので読みたいと思い、何か月か前に予約しました。

編み物のことや、編み物作家になったいきさつなどが書いてあるのだろうと勝手に期待して借りました。

結果、それらのことにはあまり触れていませんでしたが、読んでいてとても面白い本でした。

感想

この本の全体の印象は静か」「ユーモアがある」です。

三國万里子さんの妹が、なかしましほさんです。

これまた人気がある、お菓子を作る人です。

わたしはシフォンケーキを作るときは、なかしましほさんのレシピです。

動画で見た、なかしましほさんが使っているのと同じような電動泡だて器がほしくて探して買ったことがあります。

何が言いたいのかというと、特にお菓子作りが趣味というわけではない私でも知っている有名な「お菓子を作る人」と、うまくはないけど編み物が好きで、冬だけちまちま編んでいる私でも知っている「編み物の人」が姉妹であった、ということに驚きました。

感性の優れた二人を輩出した家庭ではどういう子育てをしていたんだろうかと興味がわきました。

しかしそれについては本では声高に語られていなかったと思います。

 三國万里子さんが中学生の時早退を繰り返すようになり担任の先生から家にそのことが伝わり、そのことについてお父さんが万里子さんと話す場面でも、自分の親でもそう言うだろうな、という感じの普通の対応でした。

ご家族の素敵なエピソードがいくつもありましたが、ものすごく特徴的な育てられ方をしたというわけではなさそうと感じました。

 

三國万里子さんは幼少期から、自分がどんな気持ちなのか、自分の中で何が起こっているのかをちゃんととらえることができていたようです。

落ち着いてその気持ちと向き合い、その気持ちを感じている自分が次にどう行動するかを考えて自分で決められる人だと思いました。

そして難しい言葉を使わないのに、そういう心の景色がとてもよく伝わってきます。

表現力が豊かというのは、こういうことを言うのでしょう。

共感した部分

また書いていて思ったのは、わたしにとって「書く」ことは「編む」ことと似ているということです。

 書きたいこと(あるいは書かれることを待っている何か)を探し、拾いながら、物語の糸のようなものをたぐりたぐり進んでいくと、いつの間にか歩いた分の地図が作られ、しかるべきゴールにたどり着く。

 それはわたしのセーターの作り方にとても近いように思います。

「はじめに」より引用

物を作るのも、自分の中にあるものを表現し形にする作業であり、それが出来る人は編み物作品であれ、文学作品であれ、その人の世界観を感じられるものをつくりだすことができるのだなと思いました。

さらに、

 ざっくりと計画は立てても、最後の段にたどり着くまではただ手を動かして、形を追い続けるしかない。

 それでもやがて最後まで行き着くことができるという、自信というか、予感のようなものがわたしを導いてくれる。

 そして編み終えるとそれまでとは少し違う自分になって、次の製作に取り掛かる用意ができていく…そういうところが。 

「はじめに」より引用

ここを読んでいて、これは料理にも当てはまるのではないかと思いました。

私は料理があまり好きではなく、ほぼできないまま結婚しました。

それで結婚したての頃は本を見ながら料理を作っていたのですが、ちゃんと食べられるものが出来上がるだろうか、失敗して食材を無駄にし、食べる物もないという事態にならないだろうかという不安をいつも感じながら料理をしていました。

それがいつの頃からか、本を見ないで作るときでも「まあなんとか食べられるものが出来上がるだろう」という”自信というか予感のようなものがわたしを導く感じ”が確かにある、と気づきました。

作家さんの感性豊かな作品と、私の凡庸な料理とでは出来が違いすぎて恐縮ですが、ものを作り出すときのこの感じ方に共感できて嬉しかったです。

ユーモアがある

私がとても好きだと思った章は「うさろうさん」です。

うさろうというのは、三國万里子さんが持っているうさぎのぬいぐるみで、息子さんとのコミュニケーションのために三國万里子さんがその人格を作りました。

ある朝、うさろうじいさんの人格が初めて出現するくだりの描写に思わず吹き出しました。

うさろうさんの実物写真は本に載っています。

かわいらしいうさぎなのにじいさんという設定なのは、うさろうさんはアンティークで、長い年月存在しているからなのか。

のちにうさろうさんにお嫁さんがくるのですが、そのことを報告したときの息子さんの対応も素敵なんですよ。

数行で、息子さんの雰囲気や母親である万里子さんとの関係性が感じられる文章が好きです。

 

もう一つ思わず声を出して笑ったのが、「ままごと」という章に出てくる小人の話。

その小人が買い物をしてくる描写がツボで、何度読んでも笑ってしまいます。

ぜひ読んでみてください。

三國万里子さんの息子さんも旦那さんも、そんな風にポエミーというかファンタスティックな言動を共有してくれるんですよね。

そんな家族風土がうらやましいです。

 

印象的だった一節

 バナナが死ぬのを見た。

本文より引用

「昼寝」という章の書き出しです。

短編小説のようです。

それから、

 昼寝から目覚めるたびに、地球というとても巨きな生き物が持つリズムに、呼吸に、自分が調律されるのを感じる。潮の満ち干に同調するのか、わたしの中にも安らかに潮が巡るようだ。それが「生かされている」という状態なんだと思う。わたしの中の水はより大きな流れと一緒に巡り、まだあのバナナのように生命体としてのフレームの外に溶け出したりはしない。

本文より引用

ああ、昼寝から目覚めた直後ってこんな感じかもと思いました。

畳を通して地球の大地を感じて眠り、無意識下にする深い呼吸によって整う感じが「調律される」とはピッタリ、と思いました。

ところで2,3歳の頃の昼寝の記憶なんて普通ありますか?

この本にはよく幼いころのことが書かれてありますが、その頃感じていた気持ちや心の動きを覚えていて、この年になってからでももう一度反芻して文章に著すことができるのはすごいと思います。

私はこの頃の記憶など皆無に近いです。私だけですか?

感性は生まれつきのものなのかもしれないですね。

自分との違い

私は自分の気持ちを言い表すことがうまくできないし、まずその気持ちをその場でよく味わわない。

だからその気持ちにのっとって行動を決めることもできないです。

特に周りに人がいる環境では、自分の気持ちをどこかに追いやって周りの動向を伺い、周りがどう動くかによって自分の行動を決めるところがあります。

不幸の手紙は私が子供の頃も流行ったのを覚えています。

三國万里子さんは自分に来た不幸の手紙を出しませんでしたが、そのときのことをこんな風に書いています。

それでも、指示された通りに7人の人に宛てて不幸の手紙を書いて送ろうとは思わなかった。まず見も知らない誰かにそんなことを指図されるのが嫌だったし、同じくらい生理的に我慢できなかったのだ。

本文より引用

この手紙をそのままなぞって書き写したら、何か得体の知れない汚いものがわたしにべっとりついて、もうわたしはわたしじゃなくなるだろうという気がした。

本文より引用

不幸の手紙が流行った当時、私も含めた周りの子供たちは回ってきたそれを友達などに送ったり送られたり、再び送ったり送られたりしていました。

オカルト的なものに興味を持つ年ごろで、同じころ流行った口裂け女や学校のトイレに出る幽霊なんかも怖くてみんなで騒いでいました。

不幸の手紙も、怖いけどみんなで分かち合えば怖さが薄れました。

今考えればそのようなばかばかしいチェーンメールを回してしまったことを悔やみますが、当時はやはり得体のしれない怖さが勝っており、誰かに回さずにはいられなかったのだと思います。

(言い訳ですが私も周りの友達もおおむね友達同士で回しあっており知らない人には送っていなかったと思います)。

そんな不幸の手紙を、たぶん同じような周りの状況で、三國万里子さんは自分の気持ちを強く持って止めていたのですね。

当時はなかなかできることではなかったと思います。

ずっと自分の気持ちを信じ大事にして生きていたから、三國万里子さんにしか作れないものが作れるんだなあと、腑に落ちました。

この本を読み終わった今、そんなことを考え自己肯定感が(そんなに高かった訳でもないけど)ガクッと落ち込んでいます。

 

この本をおすすめしたい人

・三國万里子さんのファン

・一人の感性豊かな女性アーティストが幼少期から感じてきたことを知りたい人

・静かでユーモアのある文章が好きな人

作家について

三國万里子

1971年生まれ。

新潟県胎内市出身

早稲田大学第一文学部仏文科卒業

幼いころ祖母に編み物を習う洋書で編み物テクニックを研究していた

 


この本が初めてのエッセイ集だそうです。

まとめ

三國万里子(みくに まりこ)さんの「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」を読みました。

編み物のことはあまり書いてなかったですが、三國万里子さんの幼少期や青年期、ご結婚されてからのご家族との関係性などが垣間見え、印象的なエッセイでした。

日常的な、でも独特な表現、しかしよく伝わる言葉の選び方が心地よかったです。

小説のようでもあり、面白く読みました。

ちなみにうちの図書館では2023年10月現在、私の後に10人待ちです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。 

編めば編むほどわたしはわたしになっていった

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